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〜出口のないトンネルなんてない〜

鬱田シノの人生 〜第6章〜『社会人編』【終】

 ▽〜第5章〜『専門学校編』 

前回のあらすじ】パチンコ家庭内暴力…幾多の試練を乗り越えて成人した『鬱田シノ』は東北大震災を機に上京をした。そして気付く、自分がニートである事に。これからどうやって生きていくのか。最終章『社会人編』

utsudashinou.hatenablog.com

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ニート、就職を果たす

就活ニート

専門学校を卒業し、父元の家へ母と戻った三人暮らしは数ヶ月が経った。徐々に生活の落ち着きを取り戻した僕は、ハローワークとネット求人を駆使し就職活動を始めた。なんせ初めての社会だ。求人情報を見てもイマイチ良し悪しが分からない。

“とりあえず”で勉強してきたデザイン関係の仕事を探していた。何社と応募しても、書類で落とされ、面接で落とされ、お祈り通知が絶えず来る日々。ちょうど『就職氷河期』って言われてた時代だったかな?

某有名フィギュアメーカーのパッケージデザインへ応募し最終選考へ行くも、感触は良かったが落とされた時はさすがに病んだ。

 

鬱田シノの憂鬱

学生の夏休みでも一ヶ月前後だろう。家に居るだけの期間が三ヶ月を超え、憂鬱さと自己への虚しさから結構くるものがあった。

そうして、一時デザイン関係で探すのを止めジャンルを問わず探す事にした。見つけたのは某焼肉チェーンの社員。キッチンでの調理、フロアでの接客をメインに、販促物も作れるとの事で、一応デザイン関係も活かせると思い応募後、二〜三度の面接を経てあっさりと合格。

 

社会経験ほぼ皆無

これまでアルバイト経験も皆無に等しかった。内容が浅すぎて書いて来なかったが、唯一高校生の時にしたバイトが2〜3ヶ月勤めたサイ◯リア。ミ◯ノ風ドリアを左手に三つ、右手に一つ持って提供とかマジかよ(?)って思いつつ働いていた。1週間に1〜2回短時間入っていただけだったけれど、段々行くのがめんどくさくなって辞めた。

アルバイトは社会勉強として身につくのは間違いないけれど、一生で一度の青春時代にバイトなんかしてる場合じゃねえ!と遊び呆けていた。結果論、今でもこれで良かったと思っている。学生時代が終われば働かなくてはならない。学生時代すらお金を稼ぐ事に時間を費やす事はないだろう。家庭環境や生活面で学生時代でさえ働かなくてはならない人もいると思うから一概には言えないが。

 

 

社会人として、はじめの一歩

一人暮らし

専門学校卒業から4ヶ月が経ち、某焼肉チェーン店に正社員として内定が決まった。実家からも通えはしたが通勤が不便だったので、同時に初の一人暮らしをスタート。20才にして初めての一人暮らし。散々親に甘えて生きてきた僕は不安もたくさんあったが、同時にワクワクもあった。最初は寂しい気持ちや、ホームシックになることもあったが人間の環境適応能力ってのは次第に順応する。すぐに慣れた。

 

初出勤

仕事内容はアルバイトとなんら変わらなかった。店舗には店長が一人、社員の僕が一人、あとはバイトとパートのメンバーで店を回す感じだった。年齢的にも歳が近いメンバーで楽しくやれていた。が、バイトに対してと社員の僕に対して店長の対応の差が明確だった。気持ちは分かるが、当時はそれを理不尽に感じていてよく不貞腐れていた。

 

焦げ肉より黒い会社

最初の一週間程は時間通りタイムカードを切り帰宅していたが、次第に帰らせてもらえなくなってきていた() 実働8時間、休憩1時間の計9時間で終われる筈が、タイムカードを切ってから1時間、2時間、3時間、4時間と残業が増えていった。タイムカードを切ってから仕事をしているのは可笑しいとは思いつつも、社会経験初の僕はこれが社会のあたりまえと思うしかなかった。比較ができない“あたりまえ”って認識が怖い。

 

仕事内容

昼と夜のシフト制。結構バラバラだった。平日に一回、土日に一回休みだったかな。

まずは開店準備(掃除、炭の準備等) 、営業時間が始まると(入店案内、オーダー取り、七輪の設置) この七輪設置がマジで過酷だった。軍手を二重に重ねて七輪をテーブルの真ん中に嵌め込むんだけど、めちゃくちゃ熱いし失敗できない。

フロアの仕事は他に料理の提供、空き皿の回収、レジ、七輪回収(この七輪がまた…略)

瓶ビールの提供が一番苦手だった。あんなツルツルして不安定なおぼんの上に乗せてよく運ぶよな。何回滑らせて大惨事になるところだったか分からん。

キッチンでは肉の盛り付け、サイドメニューの調理、皿洗い等。

クsな事に朝まで営業してるもんで、閉店時間過ぎてるのに帰らないDQNも居て追い出せない事とかヘコヘコしなくちゃいけない環境にイライラしていた。

 

研修期間の三ヶ月で退職

一生接客業なんてやらねえ! そう心に決めた僕だった。低賃金、異常な拘束時間、クソ客にヘコヘコする毎日。昼夜シフト制だったから休みの日なんて休息に務めるだけだったし、連勤は帰って寝るだけ職場と家の往復だった。

メリットは従業員のバイトメンバーが若くて楽しい、まかないウマーできるってくらいか。店長なんかもっと拘束長いだろうし責任伴うしよくできるな〜って思ってた。店長嫌いだったからどうでもいいけど。

 

 

ニート再来

職業訓練校

就活の大変さはしみじみと感じていた。初めての仕事が理想とギャップの違いに社会に対して嫌悪し始めていた。人生しんどいな〜なんて、逃げ道を探していた時に情報を得た。

職業訓練校』一定の条件を満たしていると毎月10万円の給付金を貰いつつ、勉強できる制度だ。コースは3ヶ月〜2年等、学校や学科、実費か給付金かによっても異なる。

退職したのは年末前で、受けたい学科は春から6ヶ月コースの募集が始まっていた。

通常の学校の様に書類選考後、試験・面接等があり、倍率は3倍だったが、それに合格し、春からまた学校生活が始った。

 

学生はじめました

最終学歴が終了しつつ、また学校に通えるなんて思ってもおらず、ワクワクドキドキしていた。学科は専門学生時と同じデザイン関係。復習して、しっかり勉強して脱線したレールをまた目指すべき場所へ向かわせようと、デザイナーになろうと励むつもりだった。

 

入学式

友達できるかな〜!可愛い子いるかな〜!なんて期待とは裏腹に周りの年齢層が違いすぎた。 30代がメインでおばちゃんもいる始末。 最年少だった事もあり最初の内は可愛がられていた様な気もするが、話しててもつまんねぇなと思ってイヤフォン付ける日々。

男なんて2〜3人居たっけ?ってレベルで記憶にない。

 

学校生活

無料で尚且つ、お金貰いながら受けられる授業って事もあって授業内容はEasy過ぎるものばかり。Illustratorで「四角形はこう作ります」みたいなね。経験者にとっては無価値なものばかりだった。挙句、睡眠時間に充てたり携帯いじったり惰性でお金を貰う為だけに通う日々。

月10万の給付金の制度は厳しく、月に3回遅刻でも欠席でもしたら給付されない内容だった。つまり、月に3回電車が遅延して5分でも遅刻したらその月に10万円は貰えない。片道1時間の距離で遅延や人身事故なんかもよくあって3回なんてあっという間に超えてしまう。リーチが掛かったり、月初に3回やらかした時はその月丸々休んでた。中旬からのリーチは血眼で通学してたけどw

6ヶ月中、3回給付金をいただき、卒業。誰一人として顔も思い出せない学校生活は終わった。

 

卒業後

すぐには就職する気も起きず、また惰性で過ごす日々。いつもの三ヶ月周期で就活を始め、漸くデザイン関係の仕事に就く。

 

 

2℃目の社会

初めてのデスクワーク

朝は早かった。8時出社だったかな… 7時前に起きて7時過ぎには家を出ていた。退社は殆ど定時上がりで17時。朝早いのはしんどいけど仕事終わってからの時間も結構ある。

社内環境も良好で10個離れた同期とも仲良く、社長も週に1回ラーメンとか飲み奢ってくれて、オフィスでは雑談してお菓子食べながらワイワイと仕事するような環境だった。昼休憩にはピザとか宅配してコーラ買ってきてピザパ。なんか僕がピザ係になってたけど() 良い環境だった。オフィスワークってめちゃくちゃ良いなって思った。

 

業務内容

ネット販売のサイト運営だった。商材の写真を撮ったり、それを加工してページに組み込む。バナーを作ったりと初めて今まで勉強してきた知識も活かせそうだ、と。

注文処理(メール・電話対応)をしつつ、空いた時間にデザイン関係をやる感じ。商材が機械な事もあってクレームが多かったのはしんどかった。

 

転機

1年弱にして経費削減の為に委託していた業務を自社で行うとの事で業務内容が大幅に変わると指示があった。倉庫作業…。

筋力もなく体を動かす仕事は不向き、デザイン関係が殆ど出来なくなる、環境の良いオフィスに残れない、その他諸々を含めた上で、それを機にちょうど入社から1年が過ぎた頃、退職。

 

 

学生リベンジ

2回目の職業訓練校へ

二回目って事で授業内容にも特に期待はしてないので、家から近かった学校のパソコンの初歩的な部分を教わる学科。年初からの6ヶ月コース。

前回と違う点は、一月10万円の給付金ではなく、在学中失業手当がずっと出る事。3日遅刻欠席のノルマもだいぶ軽くなり、2/3以上の出席で給付がおりる。つまり、一月22日出席日があったとして7日休むか、14日半休できる。めちゃくちゃEasy。

 

2回目の訓練校生活

前回の学科よりヌルい学科なので、年齢層は更に上がっていた。おじいちゃん?って人までいるしなかなかのカオス空間。馴れ合いしに行ってる訳でもないので、まともに関わろうとしていなかったが、めちゃくちゃ接してくるおばさまも居る訳で、娘とか紹介してくる訳w とりあえず連絡先渡したけど娘さんJKw 連絡とっても会えないっすよwww的な。なによりお母様に認知されてる時点で怖すぎw (ちょっと可愛かったから惜しくも思う)

6ヶ月の在学を後に卒業。また3ヶ月くらいニート期間を経て3回目の就職。(なんかもうこのサイクルが出来上がっていた。)

 

  

三度目の正直(?)

前職と同様、ネット販売事業

今回はアパレル。洋服好きだしモチベは高かった。流行り作品とのコラボがあったり、ショップサイト自体も大きかったので自分が働いていく上でやりたい事はたくさんあった。Tシャツデザインとかコラボ企画に携わったりとかね。

デザイン関係で入社したものの、仕事内容は商材の白抜きばかり。なんの成長も見込めない。

新人の入れ替わりも激しくていつの間にか倉庫作業がメインになっていた。いや、僕なにしてんの…って。

 

会社の雰囲気

これがまず酷かった。私語NGレベルの空気。誰も雑談していない。暗い、暗い、オフィス。あと一番クソなのがパワハラ上司。過去人生の中で一番ヤバいレベルに頭おかしい人間と同じ職場に。10個上の冴えないクsいきりデ◯メガネ。コイツのせいでどれだけ仕事がやりづらかったか。毎日氏ねよって願ってた。何回労基に連絡しようと思ったか分からん。上には相談してだいぶ丸くなったけど、それでもクソ対応だった。社会的にも物理的にも何回◯してやろうと思ったか分からない。

 

社員の質

ここが初めての会社ですっていう10年選手の30代ばかり。他の会社と比較できていないから違和感に気付かないのだろう。経験も知識も他の会社では活かせないから辞めたいと言いつつも惰性で通い続ける上司達。尊敬すべき点なんて全くない。辞めないから穴も開かない。新人が上に上がれるチャンスは無かった。

機械的に休まず仕事してるだけの社畜。会社に変化なんて全くなかった。古臭いアナログな手法で仕事を教える上司。

新人が「こうしたらいいんじゃないですか?」なんて、案を出しても「昔からこうだったから…」なんて、新しいものを全く取り入れようとしない環境。

 

惰性で仕事を続ける僕

正直、仕事内容はクソほど楽だった。むしろ仕事がない日なんてザラだった。どう時間を潰すか考えるような毎日。上司も振れる仕事がなく困惑している。もはや笑うしかなかった。

給与面は悪くない、服装頭髪自由、特にやりたい仕事もなかった僕は惰性で仕事を続けていた。

脳が働かなくなった。毎朝規定の時間に起き、同じような仕事を淡々とし、ロボット…上司達と同じような機械的な人間に成り下がりつつあった。

この先、この職場で成功できる気はしなかった。もっと自分で頭を使って価値のある事をして収入を得たい、と。

 

仕事を休みがちになっていた

もう行っても無駄だ、と。この会社は変化を、進化を恐れている、と。

心療内科へ行き『適応障害』の診断を受けお小遣いを貰っている。会社を休業し、先月いっぱいで退職を決めた。

 

  

あとがき

長くなりましたがここまでが、僕のこれまでの人生をさきっちょだけ掻い摘んだものです。直近の会社を辞めたのもつい数日前の事です。そして、全てノンフィクションです。

 

僕は会社という形態に嫌気がさしました。どれだけ頑張っても、どれだけ頑張らなくても給料も拘束時間も変わらない。仕事が出来る人は『どれだけ上手くサボれるか』なんて言われている日本の社会そのものがクソだと思います。

 

これからの僕は“あたりまえ”という常識に囚われず、好きな事を好きなようにやっていきます。

 

このブログでは生きる上でのあるあるネタや、友達の家に泊まって深夜電気を消した後に話したくなる内容だったり、“共感性”に重点を置いて僕のこれからの人生と、世界に対しての考察を戯言として吐いていきます。

 

あぁ~!終焉の音ォ!!

 

 

▼第1章

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